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ベトナム代表監督の日本人、三浦俊也が嫌いでたまらない私 [サッカー]

U―23アジア選手権2016予選 U22日本代表―U22ベトナム代表が、2015年3月29日 マレーシアのシャーアラムで戦います。

恐らくU22日本代表はU22ベトナム代表に負けることはないと思いますが、近年のベトナムの快進撃を見ていると楽観視できないのが現状です。

特に、現在のベトナム代表(U22兼任)を率いている監督が日本人の三浦俊也氏なのです。

普段からサッカーを見ている人には聞いた事のある監督かもしれませんが、正直「誰?」という人の方が多いと思います。

個人的にはこの三浦俊也氏は嫌いです。その理由も兼ねてこのベトナム代表監督の事を紹介したいと思います。


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まずは簡単な来歴から。wikiから転載しますね。

来歴

1991年にドイツにコーチ留学。ケルンスポーツ大学で5年半に渡ってコーチ理論を学び、ドイツA級(日本のA級に互等)ライセンスを取得。

仙台時代
日本に戻った直後の1996年にはS級ライセンスを通訳兼任で受講し、ライセンスを取得。翌1997年には当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)のブランメル仙台(現在のベガルタ仙台)のコーチに就任し、天皇杯では監督を務めた。

水戸時代
1998年、水戸ホーリーホックで初めてシーズン通して監督を務めた。

大宮時代
1999年から大宮アルディージャのコーチに就任し、監督のピム・ファーベークの下でオランダスタイルのポゼッションサッカーを学ぶ。2000年に大宮の監督に就任。
2000年はシーズン4位とまずまずの成績を残したが、上位3チームには1勝11敗と全く歯が立たなかった。
2001年シーズンは第2クールでの全勝を含め、前半戦終了時点で17勝(延長勝ち4)2敗1分けの成績であったが、結果的に最終順位は5位でJ1昇格は成らなかった。シーズン終了後に三浦は監督を退任。
2004年、2年ぶりに大宮の監督に就任。第42節の水戸戦に勝利してJ1昇格。
2005年は一時は降格圏内にまで順位を下げたが、そこから持ち直してJ1残留を果たした。
2006年シーズンも残留を果たし、この年限りで監督を退任した。

札幌時代
2007年は札幌の監督に就任。三浦はFW陣にも守備意識を教え込むなど全員守備の組織的なサッカーを導入。最終節で勝利し、J2優勝、そして悲願のJ1復帰を果たした。
J1に復帰した2008年シーズン、堅守と言われたゾーンディフェンスがJ1のクラブ相手に通用せず崩壊した。序盤から成績が低迷。史上最速タイ(当時・残り5試合)でのJ2降格が決定した。この降格の責任を取る形でシーズン終了後に札幌監督を辞任。

神戸時代
2009年8月にヴィッセル神戸の監督に就任。就任後は昨年の堅守速攻をベースにチームを指揮し、就任直後の8月は3連勝するなど降格の危機にあったチームを一時は立て直した。9月以降は1勝にとどまり再び低迷するものの、かろうじて残留を果たした。
2010年も引き続き神戸を指揮。しかしこのシーズンは、開幕から内容・結果とも伴わずに降格圏への低迷が続き、大久保の離脱を受けてエースに指名したFWイ・ジェミンもほとんどチームに溶け込めず、またハードワークなどの守備中心の戦術だったのが裏目に出て、7試合で6人の退場を出す(そのうちの2度がGK榎本達也の退場で、この2試合は、フィールドプレーヤーがGKを務める事態になった)など、札幌監督時代の低迷の要因と同じような光景が起こり、9月12日に解任された。

甲府時代
2011年、ヴァンフォーレ甲府の監督に就任。三浦は守備力強化として札幌時代に培ったゾーンディフェンスを徹底させることで対策をとろうとしたが、守備を重視しすぎたあまりこれまで甲府が得意としていた「走るサッカー」も影を潜め、昨年度J2リーグ得点トップだった攻撃力も影を潜めてしまう。19試合を過ぎて4勝しか挙げられず16位の降格圏に低迷。特に守備力を期待されていたのにもかかわらずゾーンディフェンスの弱点である「相手ゾーン外からのミドルシュート」を次々と決められるなど失点数がリーグワースト2位の37と期待とは逆の状況になってしまう。そして解任された。なお、ヴァンフォーレ甲府は前身の甲府サッカークラブ時代を含め監督をシーズン途中に解任(辞任含む)したことがなく、三浦はチーム初の事例となってしまった。

ベトナム代表監督
2014年5月8日、ベトナム代表の監督に就任。2年契約でフル代表以外に、リオデジャネイロオリンピック出場を目指す22歳以下代表の監督を兼任。


↓↓まだ記事は続きます↓↓

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とまぁ、Jリーグの監督をこんなに経験する監督なので、業界内での評価は高いのでしょう。実際、ベトナム代表監督になってからは東南アジアのサッカーNo.1を決める選手権『AFFスズキカップ2014』でベスト4に導くなど、ベトナムでは英雄扱いされています。

でも、私の評価は違います。

三浦俊也監督のサッカーはガチガチの守備固めの戦術で、何の面白みもないサッカーなのです。

私はヴィッセル神戸時代の三浦俊也氏の試合を何度も見ていたのですが、彼にはサイドバックという概念がないのか、センターバックを4人並べる戦術をとったり、中途半端はゾーンを組んだりして選手の個性を消したりと、観客を失望させるサッカーを展開したのです。

それでも勝てば官軍なのですが、チームは低迷を続けます。極めつけは、2010年のW杯期間中、チームを放り出してNHK解説員をしたということです。

他のチームはW杯中断中に合宿をしたりしてチーム力を強化しているのに、この三浦俊也という男は自分が監督を務めるヴィッセル神戸が低迷しているにも関わらず、のんきにテレビ解説員というバイトをしていたのです。

これにはもう怒り心頭でした。金儲けの為に現場放棄するような男に求心力などある訳がありません。

当たり前ですが、その後三浦俊也はヴィッセル神戸の監督を解任されます。この時はザマァwと思いましたね。


と、個人的にこの監督を好きになる事はありません。きっと選手をウイイレみたいな気分で操る事に快感を得ているのではないかと勘ぐってしまいます。

ベトナム代表監督として評価が上がってきているみたいですが、もともとベトナムは強くなる要素があったのです。ベトナム代表はとにかく走る!下手でもとにかく走力が凄いのです。現代サッカーにおいて走力は重要な面を持ちます。そこに三浦俊也氏のなんちゃってゾーンディフェンスを教えると、そりゃ東南アジアで躍進するでしょう。
でも断言します。三浦俊也氏のサッカーは3流を2流にすることは出来ても、2流を1流にすることは出来ません。ベトナム代表はここから伸び悩むでしょう。攻撃の形が出来ずに得点力不足に悩むでしょう。

あと数年で契約満了でフリーになるでしょうから、もしかしたら同じような発展途上のチームから声がかかるかもしれませんね。もしJリーグの監督に就任しようものなら、そのチームは崩壊の一途を辿るでしょう。断言します。

と、三浦俊也監督についてボロクソに書きましたが、日本人監督が海外に進出するパイオニアになっている事に関しては称賛に値します。
私はベトナム代表が弱くなって欲しいなどとは考えていません。三浦俊也監督のもとでベトナム代表が強くなるのなら、それは本当に素晴らしい事です。
三浦俊也氏の今後の活躍に期待しています。・・・でももうNHKの解説には来ないでほしいです・・。


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